上野桜木のおせん
高木を出て、10年前には一緒に設計をしていた事務所のKさんに電話した。
まだ18:20である。
Kさんは、うちの関係の仕事をやっていて、たまに顔を出してくれるのであるが、
日暮里に引っ越ししてから、一度行きましょうといって、なかなか行けないでいた。
たまに電話しても、予定が合わなかったりした。
築地で一緒に机を並べて仕事しているときには、ときどき飲みに行って、お世話になった人である。
築地のぼく好みの店を紹介してくれたこともあった。その店ではじめてホッピーの中身を追加して継ぎ足しで飲むことも知った。
先日は、酒場の本をくれたこともあり電話すると、OKで、以前から行きたかった上野桜木のおせんで待ち合わせとした。日暮里と鴬谷の間にあり、昨年10月に行ったときは時間が早いせいか閉まったままだった。
でも、この建物に感動しない人はいないだろう。
今回、喜び勇んで先に行くと19時だというのに、のれんが出ていない。
またか?
でも横の扉があいて、中の電気がついている。
「こんにちは、お店やってますか?」
「休みだよ」
「えっ」
「もう、としだから、やめちゃったのよ」
とおばあちゃんが答える。奥の座敷に50歳くらいの女性と一緒にいて、
そのおばあちゃんは
「きょうは、これから、この人と、もちよりで飲むところなのよ」
「あんた、はじめてかい」
「はい」
残念そうな顔をしたら、
「そこの冷蔵庫にビールが入っているから、好きなのとって飲みな。でもつまみはないよ」
「すみません。ありがとうございます。」
といって、キリンラガー、サッポロ黒ラベル、アサヒスーパードライの大瓶の中から、キリンをとる。
「私はもう88歳なのよ。60年ここで店をやってきたのよ。でも足を痛めてから、ここの段差を登ったり降りたりするのが大変でね。やめちまったのさ。でも電気をつけていると、ときどき、はじめての人が入ってくるのよ。もうやめちまったのに」
「いやあ、88歳には見えません。お元気ですね。」
「そうよおばあちゃん、まだまだ元気」と隣の女性が言った。
ぼくの低い声もきちんと聞こえるぐらい耳は遠くない。元気なおばあちゃんだ。
そうしてるうちに、もちよりだったチキンナゲットを2つくれた。ソースもかけてくれた。
ナゲットに冷たいビール。うまい。
奥にはおせんの建物の絵がかざってある。目の前にはかき氷のでっかい氷おろし機がある。
「すみません。友達と待ち合わせしているので、もう少し待たせてください。」
しばらくするとKさんがきた。雰囲気に少し驚いた顔をしたが、事情を説明すると、丁寧に入ってきた。
「もう1本いただいていいですか?」
「いいよ。勝手にとって」
そういって、残りのナゲットをKさんにもくれた。
そしてもう1人女性が集まり、奥座敷も宴会が盛り上がっている。おばあちゃんも日本酒を飲んでいる。
「私の肌がきれいなのは、このお酒のせいよ。ははは」
いや、本当に肌のハリがいい。
Kさんと久し振りの話を少ししたところで、おいとますることにした。
おかんじょうを聞くと、1500円といわれが、2000円をおいて感謝して出てきた。
また、酒場の灯がひとつ消えていく。その場に立ち会ってしまったような気がする。
もう、おじゃまになるように、ずうずうしくお店に立ち寄ることはないだろう。
本当に、いくつかの偶然で入ることができたのかもしれない。
何か大事な忘れ物でもすれば、また行けたかもしれない、そう思った。
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